未来の教育を考える会(研究期間2018年度)

第1回未来の教育を考える会

日時・場所 6月14日(木)13:00〜17:00(ペガサート会議室)
参加者 奈良女子大学 栗岡幹英名誉教授
静岡大学 山本義彦名誉教授
研究協力者・所員8人中6人参加
その他事業団体関係者、保護者等計55人参加
活動内容
  • 京都造形芸術大学教授 寺脇研さんの講話
  • 講話を受けて小グループによる協議
  • 寺脇研さんから総括

≪参加者からの感想≫

  • ここ5年間、点数を取ることが求められる教育に疑問を感じていた。しかし地域からも求められる場合があり、自分の考えは間違っているのではと不安に感じることが多々あった。しかし寺脇さんの話を聞き、勇気をもらうことができた。子どもが学習者の主体ととらえ、競争から共生への社会になるにはどうすればよいのか自分なりに考えていきたいと思った。
  • 教育の目的や中立性とは、という視点で実情を踏まえた話でわかりやすかった。教育に求められるもの、学習者である子どもを主体とした学びのあり方について考えさせられた。政治のあり方に振り回されるのではなく、不易の部分が大切であろうと思った。
  • 寺脇さんの経験にもとづく一言一言が力強く、根拠に裏付けられる自信をもって職務に当たっておられたことが伝わってきた。私たちは公務員であることを自覚して、教育に責任をもつものとして、言うべきことは言っていきたい。
  • 国家支配がすすんでいることに対して、教育界特に自分は鈍感だなと思った。学校5日制や総合的学習の時間、生涯学習の推進等にご尽力された寺脇さんの話を聞くことができたのはとても貴重な体験であった。
  • これからの教育は、知識をもっているだけではだめで、知識をどう活用するのか、どうコミュニケーションをとるかといった力が大切だということを改めて感じた。教職員の中には総合的な学習の時間は必要ないという人もいるが、やはり総合的な学習の時間を充実させていくことがこれからの学校では必要だと思う。時数も限られている中でどのように実践していったらよいか考えなければならない。
  • 寺脇さんが、総合的な学習の時間を含め、これまでに行ってきた教育が間違いではないと言ってくれたことが、自信になった。

「ミスター文部省」寺脇 研さんを迎え講演会開催

寺脇研さん

6月14日(木)に、静教組立教育研究所「未来の教育を考える会」は、国の教育行政の中枢において「学校週5日制」「総合的な学習の時間」「脱偏差値」「生涯教育」などを推進し「ミスター文部省」と呼ばれた寺脇研さん(京都造形芸術大学教授)を迎え、講演会を開催しました。

今年度「未来の教育を考える会」では、次期学習指導要領に向けた教育課程編成における課題やこれからの学校教育において考えるべき問題に焦点を当てて研究をすすめています。そこで第1回目は、これからの教育について考えることをねらいに寺脇研さんに講演を依頼しました。

講演会には、各単組・支部から組合員、教育事業団体関係者や保護者等も参加し、約60人が寺脇さんの話に耳を傾けました。講演会の後には、小グループに分かれて講演をもとに協議をしました。

演題「これからの日本、これからの教育」 一部抜粋

今の日本の状況 うさん臭いものが出てきた…

1990年代後半には、私は日本でもう一度戦争に結びつくようなことがあるなんて夢にも思っていませんでしたが、今は「本当にどうなるの?」という状況です。私が文部省の役人をやっている頃は、とにかく日本の教育のことだけを考えていればよかったのですが、今はそうはいかない時代になっています。

「平成ってどんな時代だったのですか」という問いに対して、教育界に関していえば、最初の15年間は、経済界からも「文部省の『ゆとり教育』は生ぬるい、もっと『超ゆとり教育』にしろ」みたいな提言が出ていました。後半15年は教育基本法を改正するとか道徳を教科化するとか、何かうさん臭いものが出てくる時代になり、2012年の政権交代を経た後は、一強一党独裁(というよりは官邸独裁)となり、現総理の周りにいる人たちの側近政治になってしまった。その一つが今の森友・加計問題です。

当時道徳が教科になるなんていうことは考えられなかった。時の首相は道徳を教科化したかったけれど、文科大臣が「何言ってるんだ。総理大臣がそんなこと言うんじゃないよ」「道徳の教科化なんかする必要はない」と言って止めていたのです。しかし政権交代したら、道徳が教科化されたのです。

21世紀 コミュニケートする力が大切だ!!

21世紀というのは、コミュニケーションの世紀と考えます。「ゆとり教育」と言われている、私が現役の頃やってきた改革というのは、何よりもまずコミュニケーション能力を高めなければいけないということでした。「学力とか知識とか、いくらあったって、コミュニケートできなかったら何の意味もないじゃないですか」「すごくいいことを考えたって、それを伝えられないんじゃ意味がないじゃないですか」というようなことでやってきました。

21世紀を生き抜いていく子どもたちには、有限な資源をみんなで分け合う、みんなで分け合うにはコミュニケーションしなきゃだめで、自分だけ得しようなんていう考え方は成り立たないということ、そういう力(考え)こそ身につけさせなければならない。子どもたちが自ら学ぶ、自ら考える、つまり学習者を大事にするという観点のもと、「学習者主権」という考え方を子どものころから身につけておかなければならない。そうすれば大人になったとき「自分が主役だ」と思える人になるのではないでしょうか。

小渕総理との思い出 「個と公」

小渕恵三総理は私たちの改革を応援してくださいました。小渕総理は、「『ゆとり教育』というのがどういうことをやろうとしてるかよくわかった」「要するに、近代が終わって、これからは競争から共生へということだな」「そう変えていかなきゃいかんのはわかるけど、絶対反対派が出てくるよね。それを『まあまあ』といって収めるのが総理大臣である私の仕事なんだ」と言っていました。小渕総理は、国会演説で意識的に「個と公」という話を繰り返しされていました。

小渕総理は、「個があっての公である」「だから『滅私奉公』もいかんし『滅公奉私』もいかん、どっちも大事だ」と言った上で、「個のほうが先に立たなきゃいけないんだよ」と言っていました。「だから個を確立させるために教育を変えなきゃいけないんだ」「今までの日本の教育というのは公のためだけにやっていた。だから、これからは個のための教育をやって、初めて公がいいものになるんだということを政治として言わなきゃいけない」と言ったのに…、いい人ほど早く亡くなってしまうといいますが、急逝されてしまった。2000年の4月でした。

羽生くんはゆとり世代 ゆとり世代は…

フィギアスケートの羽生くんが活躍した時、私のところへ取材が殺到して「『ゆとり世代』はすばらしいということについてご意見を」と言われたんです。「おいおい、今ごろそんなこと言うかよ」って思いましたが、それはもう、私には予言できていたことです。少なくとも信念はもっていました。「この子たちが社会に出ればすべてわかる」と思っていました。羽生くんはじめ天才的な何人かだけ捉えて、この世代がみんないいということは断言できないけれど、ただ、同世代の大リーグ大谷くん等スポーツ選手に偏るけれど、昔のスポーツ選手と比べたら、コミュニケーション能力がものすごい高いことだけは確かですよね。羽生くんしろ大谷くんにしろ、2002年に小学校2年生だった世代で、あのとき3年生だった世代からが、生活科から総合学習と、ずっとやってきた最初の世代です。学校現場でいえば、教員3年目の人たちからが『ゆとり世代』ですよ。「どうですか、この世代の教員は?」

私たちと憲法15条1項 教育行政の仕事

今でも教育基本法には「教育行政で不当な介入を許さない」ってちゃんと書いてあります。現場の教員も教育行政です。だから、学校現場の授業に政治家が何か口を出すというのはもう不当な介入ですから、やめてくれとはっきり言わなきゃいけないですね。

周りの組合員に言ってください。とにかく「自分たちは公務員だ」「憲法15条1項によって国民から選ばれているのだ」と。かつ「教育基本法16条によって、自分たちは教育行政をやっているのだ」と。児童、生徒に授業をするという行政行為を行なっている、教育行政の仕事をしているわけです。このことを知っていれば、学力がどうのこうのとか、知事から言われることではない。私たちが考えることだと。専門性をもって考えていって、「おまえは努力してない」なんて言われたら、それは侮辱ですよ。

「特別の教科 道徳」 次期学習指導要領の試金石

最後に1つだけ言わせてください。小学校では今年から始まり、中学校では来年から始まる「特別の教科 道徳」が、次期学習指導要領の試金石だと思ってください。あれが教え込む道徳になってしまったら、「アクティブラーニング」とか「主体的、対話的で深い学び」なんて言っていることが形骸化されてしまう。もう日本の社会が終わっちゃうということを意味しているということなんです。本当に夜明け前なのか、もう没落の最後のところなのかという岐路にきているぐらいなんです。ただ、皆さんの本来のお仕事は、粛々と、2002年以来やってきたことをさらに深めてやっていっていただければ、その子どもたちが、私なんかがいなくなった後でも、日本を世界のみんなと一緒にやっていってくれる国にしてもらえると確信しております。

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